- 不登校で家にいるお子さんとの関係がうまくいかない
- 話を聴いてあげたいと思うけど、あまり話してくれない
そんなふうにお子さんとの関係に悩んでいませんか?
私は、不登校になった子どもとの関係に何年も悩んできました。
学校が苦手だったり、行けないことを理解しているつもりでも、
子どもの反抗的な態度や言葉や無気力な姿にイライラし、悪循環になってしまうことが何度もありました。
そんな試行錯誤の毎日の中で気づき、私が実践してきたことがあります。
それは、「幼少期の育て直しをする」ということです。
今回は、成長過程でうまく育めなかった娘の自己肯定感を育て直すために、私がしてきたことをお話ししてみたいと思います。
家庭によって不登校の事情は様々だと思いますが、私の数年間の経験がお役にたてれば幸いです。
不登校の始まり
娘は小学校3年生の頃に転校をきっかけに不登校になり、8ヵ月程学校へ行けなくなった時期がありました。
慣れない土地でのまさかの出来事に家庭内はパニックに。
とても安心して休んでいられるような家庭環境ではなかったと思います。
学校やスクールカウンセラー、地域の教育センターや病院など様々なところで、親子共にお世話になりました。
4年生の後半には少しずつ学校へ行けるようになり、
高学年になるとお友達もできて、学校以外でも楽しく遊ぶようになりました。
私たち夫婦は、娘が楽しそうにお友達と遊んでいる様子を見て、心から嬉しく思い「もう大丈夫」と安心していたのです。
中学入学後1週間で・・・
ところが、中学に入学して1週間で、娘は再び学校に行かなくなりました。
環境の変化が苦手なことは分かっていたので、
慣れてくれば行けるようになるだろうと思っていたのですが、どうやらそうではない様子。
少しずつ話を聴いていくと、小学校卒業の少し前に仲良しだったお友達グループとのトラブルがあったらしく、
それを親に話すこともできないまま、ひとりで傷つき辛い思いをしていたのです。
すべてに無気力になっていた娘
仲良くしていたお友達グループからの心ない言葉は、娘の心を深く傷つけました。
担任の先生からの連絡で学校に出向き、娘の状況を伝たとき、
「お友達との関係で傷ついた心は、お友達関係の中でしか癒せない」
と言われ、焦らずに娘の心の回復に寄り添っていこうと思ったことを覚えています。
その頃の娘は、
- 人の視線が怖い
- 人に会いたくない
- 何もできない、したくない
昼間家にいても何もせずに、ゴロゴロしている状態でした。
そんな娘に追い打ちをかけるように、学校を休むことが許せない夫と、
娘のペースを尊重しながらも、夫の顔色を見ては娘に無理をさせてしまう私。
小学校の頃ほどではないものの、やっぱり娘にとっては安心して休める環境ではなかったかもしれません。
がんばって適応教室に通っていた時期もありましたが、対人関係でつまづくことも多く、
娘はだんだんと無気力になり、イライラしたり反抗的な態度をとるようになってきました。
不登校のきっかけは転校やお友達とのトラブルでしたが、
根本には夫婦関係や小さい頃からの家庭環境が影響していることを、私はずっと感じていました。
本当に大事なことって何?
次第に娘は体調が悪くなり、
- 頭が痛い
- 朝起きれない
- ご飯が食べられない
- 気持ち悪い
- 夜になっても眠れない
- 何もやる気が起きない
などの不調が続いて痩せていき、心配した学校の先生から心療内科を進められました。
診断はされていませんが、不安が強くなり、鬱っぽい症状がみられました。
ある朝、私が仕事へ行こうとすると、娘が「仕事に行かないで」「一緒にいたい」と言ってきました。
その日は急遽休みを取り一緒に過ごしたのですが、次の日は仕事の都合もあって休むわけにはいかず、仕事へ。
娘の様子がちょっとおかしいと思っていた私は、
夕方帰宅するまで娘のことが心配で、休憩時間に電話をかけては話をしていました。
そんなことを何度かくり返し、再び「行かないで」と言われた朝、
「これ以上会社に迷惑をかけたくない」という強い思いにかられ、泣きそうな娘を家に置いて、急いで家を出たのです。
でも、勤務先に向かう車の中でふと我に返りました。
「なんでこんなに必死に仕事に行こうとしてるの?娘が本気で助けを求めてるのに・・・」
仕事よりも何よりも本当に大事なことは、親として娘が必要としているときに傍にいてあげること。
私はすぐに会社へ休むことを伝え、家に引き返しました。
そして「生きる意味が分からない」「死にたい」という娘の言葉に大きなショックを受け、
心から「生きていてくれるだけでいい」と思ったのです。
幼少期の育て直しをしてみる
娘の自己肯定感は、かなり低い状態でした。
その頃、私自身も仕事や自分の生きづらさに悩んでいました。
たまたま出会った1冊の本をきっかけに、自己肯定感について知り、学び始めました。
ワークなどを通して自分の自己肯定感が日に日に高まってくると、家庭内の雰囲気が変化していきました。
私自身の心が回復して安定したからこそ、家族に向き合う心のゆとりができて、言葉がけや接し方が変わっていったからだと思います。
「子育てはいつからでもやり直しができる。遅すぎるということはない」
児童精神科医の佐々木正美先生の言葉です。
何年も前に聞いたその言葉をふと思い出し、
それなら、もう一度やり直してみよう。
私は、「幼少期からの育て直しをする」と決意しました。
そして、生きる意味を失いかけていた娘に、存在承認からはじめました。
生まれてきてくれたこと、ここに今生きていてくれること、そんな娘の存在自体を喜びその気持ちを伝えていくのです。
いてくれるだけで嬉しいよ、どんなあなたも大好きだよ。
言葉かけと同時に意識してスキンシップをとっていくと、甘え下手だった娘が素直に甘えてくるようになりました。
一時的に赤ちゃん返りのようになりましたが、足りなかった分を補っているのだと思い、受けとめていきました。
勉強はあまりしなかったので、娘が好きなことや興味をもっていることを応援し、一緒に楽しみました。
何か決めなくてはいけないときは、小さなことでも自分の意志で決定できるように話を聴きながらサポートしました。
こうやって時間をかけて、娘との信頼関係を築きなおしていったのです。
自分の道を歩き始めた娘
今、娘は中学を卒業し、自分で決めた通信制の高校に通っています。
自分が心からワクワクすること、それができる環境であること、自分のペースで無理なく通えることを真剣に考えて選んだ高校です。
対人関係が少し心配でしたが、自分に自信がつき、友達と一緒に毎日楽しく過ごしているようです。
わりと自由な環境、校風が娘にあっているのかもしれません。
先日、娘がこんなことを言っていました。
あまり不安になったりしなくなったよ。
この前もね、みんなが先生にイラついてたんだけど、「そんなにイラつかなくてもよくない?先生だって完璧じゃないんだし」って思うから、イライラしなくなった。
それをこの年で思えるってすごくない?
なんかラクになったよー。
自分のいいところもよくないところも受け入れられるようになったから、先生も完璧じゃないと受け入れられるようになった
自尊感情が回復して自分軸ができてきたから、他人に振り回されなくなった
そういうことなのだと思います。
1年~1年半、幼少期に足りなかったものを取り戻すつもりで自己肯定感の育て直しをしてきて、
気づいたら娘はひとまわりもふたまわりも成長していました。
まとめ
家庭内のことに何年も悩んできたからこそ気づけた、大切なこと。
それは「自己肯定感を育む」ことです。
自己肯定感は私たちを支える心の土台、生きるエネルギーが湧き出てくる源泉のようなものです。
私は私でいいんだ。
そのように思える心の状態のことです。
本来は幼少期に親との関わりによって育まれるものですが、うまく育んであげられなかったとしても、気づいたときから育てていくことができます。
心の土台さえしっかりとしていれば、多少のことは乗り越えていけます。
何よりも本人がとても生きやすくなる。
時間をかけても向き合う価値があるのです。
人は、自分が満たされていなければ相手に与えることはできません。
逆に、自分を受け入れ大切に思えていれば、相手のことも受け入れて大切にすることができるようになるのですね。
わが家の経験が、不登校のお子さんとの関係に悩んでいる方のお役にたてれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
P.S.
私が学んでいる「性格統計学」では、お子さんのタイプに合った伝わる言葉がけが分かります。
じつは自分や相手のタイプによって、響く言葉と響かない言葉があり、
お子さんに合わない声がけでは、伝えたいことが伝わらないばかりか関係が悪化することも…。
やる気や自己肯定感アップにもつながる、お子さんに響く「ほめ方・伝え方・かかわり方」を知ってみませんか?
夫婦・親子・子育て・職場など、様々なお悩みが性格統計学でラクになります。
こちらも合わせてご参考ください。
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